長野への移住は失敗したの?その理由って田舎だから?

移住

長野への移住希望者って多いいけど、失敗した人っていないの?っていうのも気になります。っていうか、私はある意味失敗しました。ちょっと見通しが甘かったっていうか、移住前の構想とライフスタイルが変わってしまったっていうのも理由なんですけどね。そのあたり失敗の理由についてお伝えします。

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長野への移住は失敗?

移住希望地No.1の長野。私もそんな訳で長野に移住しました。っていうか、前回は長野に決めたってところまででしたよね。

その後もすぐに移住したわけじゃなくて、そもそも収入がないっていうか、当時は働いていましたけど、長野でも収入の道がまだ見通せなかったですからね。

ですから、長野市に移住しようっていうことまでは決めたけど、それからはまあ、50歳になるのを期に、移住できればいいかなってことで、いろいろと調査を開始しました。

その辺のことを書こうと思ったら、前回の記事で「やはりその土地に合う人がいるかどうか、これが一番大きいんじゃないでしょうか」っていうことを書いたから、ちょっとおかしいんじゃないの?って苦情がきました。

っていうのも、これまた少し前の記事で、某都市はちょっと閉鎖的で、やりにくいみたいなことを書いたから、毎回書くことがコロコロ変わって、インチキ極まりないっていうことみたい。

ですから、これはもう少しあとで書こうって思ったのですが、急遽順番を入れ替えて、今日の議題としたいと思います。

というのは、長野への移住は失敗か?ってこと。これはねえ。ホントに難しい。私もこちらに4年住んでいるけど、最初の1年は天国かと思いましたからね。

で、次の1年も、まあ天国でしたが、ちょっとなんかおかしいかなあってカンジ。3年目から、実はここっておかしいんじゃないの?って思い出して、最近は、失敗した。っていうカンジです。

それはねえ。私のライフスタイルが変わったからなんですよね。ですから、当初のままというか、一番最初に移住しようと思って決めたライフスタイルだと、天国のままだったかも。

しかし、その後生活に変更がありましたからねえ。それで、ちょっとおかしいとか、やっぱりおかしいとか、じぇんじぇんダメって言う風に思うようになったということです。

ですから、この先のことは、ちょっと悪口になるかなあってこともあるので、長野大好き人間の方は、ここまでにしておいてください。

長野への移住失敗の理由は?

というのは、当初の予定では、長野に移住してネットビジネスか、はたまたそれで稼いだお金でボロ儲けになったら、せんべい屋かまんじゅう屋かでもしようっていう魂胆。

ですから、こちらに来ても仕事はしていませんでした。あっ、もちろんネットビジネスはしていましたよ。

って言ってもそこに至る話を飛ばしているから、ちょっと訳がわからないだろうけど、特に副業が軌道に乗ったとか、資産が1億出来たとかで来たわけじゃありません。

まあ、なんとかなるだろうってことで、やってきたけど、実際の収入っていうのは、小学生のお小遣い程度。

ですから、毎日、毎日大赤字で、社会人になってから20年以上コツコツ貯めてきたお金を食いつぶしてきたんですね。

もちろん何千万もないから、1年暮らせるかどうかぐらい。でも、長野にやってきた開放感と、昼まで寝て、ちょっとネットビジネスして、あとは善光寺とか飯縄大権現とかのお参りの毎日。

ってことで、そりゃー天国ですよね。それに、人がみんな優しいんです。東京では信じられないぐらい親切だし。ってことで、いやー、やっぱり長野に来て正解だったなあって思っていました。

が、当然小学生のお小遣い程度だと、貯金もそこを付きますよね。ってことで、しょうがないから、ハローワークに行って職を探しました。

まあ、それは大変で、そこはまた別に記事にしますが、それでもハローワークの担当者が求人出してないところにも、私の前職に関連する企業に手紙を書いて、十数社出してくれたんですね。

それもあって、長野のハローワークは親切だなあって思ったりしました。で、なんとか50前の手に職にないオッサンも雇ってもらったんですね。

あー、これで良かった良かった。って思ったんですけど、勤めはじめて3ヶ月、半年とするとなんかやりにくい。

いわゆる今まで東京でやってきたようにすると、「それはよくないから」って社長から言われるし。

驚いたのが、口ではそうでもないけど、すごい男尊女卑。それも女性が女性に対してなんです。女性はこうあるべきものだ。3歩下がってみたいなカンジ。

当然、結婚してないと、取引先の人からも、「なんで結婚してないんですか」とか、じゃんじゃん聞かれる。

アポを取って行くって言う習慣がないから、いきなりやってきて「ちょっとお時間いいですか」とか、ここは村か?って思ったり。

ってことで、とにかく勤めるとすごくストレスが貯まってきました。最初はその会社がおかしいのかと思っていましたが、地場の企業はみんなそんな感じ。

東京に本社があって、その支社。それも転勤でやってきているような人はそうでもないけど、支社と言っても地元出身の人だと、みなさん長野スタイル。

挙句の果てには、東京支社に転勤して戻ってきた人に対して、「あいつは東京に行って変わった」って言う始末。

多分、東京というか、全国平均のやり方に対して受け入れられないんでしょうね。まあ、それでずっとやってきたからしょうがないんですけどね。

ってことで、勤めに出なくて、一人で完結するような仕事とか、単に引退して住むにはいいところですが、長野で勤めに出て仕事をしようとすると、すごくやりにくいところです。

これまた以前にも書いたけど、長野出身で、大学からずっと東京。40過ぎてUターンしてきた人とかも、おんなじことを言っていましたね。

まあ、それだけ他地域との交流がなかったってことなんでしょうね。そういう意味でも、山岳都市は、そこの文化を受け入れられないと大変ってことみたいですね。


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長野への移住失敗って田舎だから?

というのは、まあ、地方だとどこでもある話。なんですが、長野市ってオリンピックをやったじゃないですか。1998年の冬季オリンピック。

世界中から人がやってきて、新幹線で1時間半で東京。長野の若者は、東京に日帰りで買い物やコンサートに行くって言われています。

前回書いた長野のお祭りで知り合った人も、みんなそんな感じ。ですから、昔は山岳都市で、閉鎖的だったかもしれないけど、今はそんなことはないだろうって思っていたんですね。

が、そんな風に東京とかにしょっちゅう言ってる人は、若い人とかミドルエイジでも一部だけ。あとは、やっぱりザ・田舎の生活なんですね。

それに、長野って日本一の長寿県じゃないですか。ですから、地元企業のトップは70代でもピンピンしているんです。

ってことで、今の40代以下の世代がメインになると、長野も変わるんでしょうけど、それまでは厳しいんじゃないでしょうか。

これは、勤めはじめてすぐに行くようになった取引先の人が、たまたまIターンの人だったんですが、「あと10年、いや20年はやりにくい土地なんだよ」ってやたら言っていました。

当時は意味がわからなかったんですが、そういうことだったみたい。ですから、起業したり、自己完結する仕事だといいけど、勤めることを前提に長野への移住っていうのは、よーく考えた方がいいですね。


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ズレ蔵の戯言

ということで、人生なかなかうまく行きませんが、それでも移住はトータルで考えると、失敗だったとは思っていません。

それまで、食前食後に飲んでいた薬は3分の1に減ったし。夏は寝る時にエアコンがいらないから、9月なっても夏の疲れがでないし。あっ、人生の疲れはいつも出ていますが。

健康的にはなりましたねえ。そういう意味では、早く勤めなくて済むように、ネットビジネスでボロ儲けできるようになるか、年収3000万円の岡田奈々か原田知世風のおねえさんを捕まるしかないですね。今世紀中にできるかな。では、良い移住を。

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コメント

  1. 小林 より:

    まさしく、長野の洗礼受けましたね。
    県外出身者の多くがこれにやられ長野を後にします。
    会社中が長野県出身者なので多勢に無勢、勝ち目はありません。
    県外出身の私が40年以上長野にいるので勝ち組かと思いますが、コテンパンに
    やられ出身地に帰りたいけど帰れない、ズルズルと生きて今年で50歳になります。
    それでもスノボーが楽しくて毎年、楽しんでます。
    スノボーバカなのです。(笑)

    • ズレ蔵 より:

      小林さん

      いつもコメントありがとうございます。
      そうですか、やっぱりこれって長野の洗礼なんですね。

      私が長野に移住を決めたときに、長野に親戚がいるとか、
      長野に知り合いが移住したとか言う人が、みんなおんなじ
      ことを言っていました。

      が、当時は全然実感がなかったんです。勤めてみてなるほど
      ってカンジ。でも、人はみんないい人なんですけどね。
      まあ、最近はここは外国だからって思うようにしています。

      ところで、小林さんとは同年代になります。ちなみに、
      われわれのスノボ仲間では、50歳になると「チーム半世紀」
      って言ってます。来シーズンはどこかでご一緒したいものですね。

      では、いろいろありますが、負けずにやっていきましょう。
      お大事に。

      • 小林 より:

        チーム半世紀にぜひ、私も入りたいです。
        いつか、また一緒に滑りましょう

        • ズレ蔵 より:

          小林さん

          ぜひぜひ、お待ちしております。来期はどこかでご一緒したいものですね。

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